忘れられない先生

香港の一番古い公立高校に入れて、家族がみんなうれしかったです。でも、夏休みの時、有名なキリスト教主義学校に入れた友達のお母さんに公立学校の先生はみんな怠慢だよと言っていただいて、ちょっと心配でした。

一年生と二年生の時,中国語を教えたのは李先生でした。毎日のクラスで李先生は教科書をゆっくり読んで、簡単な問題を聞いて、全然三、四人で本文について話し合わせませんでしたがら、クラスはとてもつまらなかったです。

アメリカのSATに当たる全市卒業試験を受けるため、シラバスに入れられた現代詩を勉強しなければなりませんでした。 学生にとって詩のいろいろなことがよく理解するのは大切だけど、李先生は内容を説明してくださいませんでした。その代わりに、中国語のクラスで広東語だけを使わせてもよかったって、広州に生まれた先生が戯曲の俳優のように北京語で詩を何度も詠みました。冬じゃなかったって、学生はみんな寒くようにならせてしまいました。

一年生の冬学期、先生は体が悪いらしかったから、クラスでいすに座って本を読み始めました。先生は背が短いため、いすに教室がよく見えませんでした。ですから、クラスで寝だ人が多かったです。

学生が卒業試験の成績をもらった日は、私は心配にすぎたら、朝ご飯を食べないで、早く学校へ帰りました。李先生は私の白い顔を見たら、心配だって朝ご飯を食べないわけではないと言って自分のコンビニで買ったミルクをくださいました。成績をもらう前に、先生は私の世話をして、とても感心させました。

高校を卒業してから何年もになって、李先生のちょっと変な教える方法が大切じゃなくなりました。でも、コンビニでミルクを買ったびに、先生を思い出します。





この記事へのコメント

2008年09月17日 00:41
私の高校にもたくさんおじいちゃん先生がいたんですが、それを思い出しました。みんななかなか味がある先生でした。

>中国語のクラスで広東語だけを使わせてもよかったって、広州に生まれた先生が戯曲の俳優のように北京語で詩を何度も詠みました。冬じゃなかったって、学生はみんな寒くようにならせてしまいました。(冬じゃなくたって、学生はみんな寒くなっていました、かな。)
あー、私は広東語と北京語の違いがよくわからないんですが、でも雰囲気はわかります。日本でも方言の違いで気持ち悪く思われたりしますからね。(例えば、大阪の人にとって東京の男の言葉は女みたいに聞こえるそうです。)

>毎日のクラスで李先生は教科書をゆっくり読んで、簡単な問題を聞いて→質問をして
2008年09月19日 04:00
Brianさんの作文はとても面白いと思うね!私の高校の時、そんなの先生もあった。いつも教科書をゆっくり読んで、学生にすらすら暗記させたから、面白くなかった。クラスで時々眠くたって、ねむられなかったから、とても大変だった。その時は隣のクラスメートと細長い紙を書いて、こっそりと交換したり、お弁当を食べるたり、したことがあった。その忘れならない思いではとても面白かったと思う。
2008年09月19日 04:01
Brianさんの作文はとても面白いと思うね!私の高校の時、そんなの先生もあった。いつも教科書をゆっくり読んで、学生にすらすら暗記させたから、面白くなかった。クラスで時々眠くたって、ねむられなかったから、とても大変だった。その時は隣のクラスメートと細長い紙を書いて、こっそりと交換したり、お弁当を食べるたり、したことがあった。その忘れならない思いではとても面白かったと思う。

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